01/21/2010

『ataraxia』岡田敦・伊津野重美

Ataraxia
岡田敦・伊津野重美共著。
2010年1月1日青幻社刊。3,200円+税。

関連サイト
http://okadaatushi.blog115.fc2.com/
http://pigeonblood7.blog55.fc2.com/

写真家・岡田敦と歌人・伊津野重美とのコラボレートによる美しい一冊。伊津野は短歌だけでなく岡田作品の被写体としても仕事をしている。

数限りない音が重なりあった果ての無音のような岡田の写真は圧巻。その一連を眺め進めるにあたり、被写体・伊津野の存在/非在が不思議なリズムを生んでいることに気づく。抽象度の高い連なりのなかに体温のある具象として存在し、させている意図。バランス的に短歌作品がもう少しあってもいいかと思ったが、写真のゆるやかな連なりごとの冒頭に置かれた短歌が、その連なりのあいだじゅう残響していることにも気づいた。

 ひとはみな誰かの泉 いのち抱き露草の蒼踏みしめてゆく

伊津野のこの露草の歌が紅あざやかに張り詰めた岡田の彼岸花の写真に添えられていることからも、ふたりが目に見えない深いところで呼応しあっていることがはっきりとわかる。相互補完でもない。ヴィジュアルと言葉のコラボレートの際に陥りがちな表面上の結びつきにとどまらず、それぞれの表現の本質部分で共鳴することにより、より強い核融合を成している。高次元での魂の往来と言ってもいい。

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03/22/2009

『紙ピアノ』伊津野重美

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伊津野重美第一歌集。
2005年12月20日風媒社刊。2,200円+税。

関連サイト
著者 http://pigeonblood7.blog55.fc2.com/

全編を通して、これらの歌は、病の苦しみや心に受けた傷の痛みと真っ向から向きあい、生きるためにそれらを消化し浄化してゆく手段として詠まれたものであろうということが推察される。どの歌も重く、ときに文体が支えきれないほどの激しさを込められた歌も見受けられるが、支えきったものは見事に張り詰めた一首となっている。自己を追い詰めることのできる者だけが持つ、ぎりぎりまで手放さない強さが結晶した作品が美しい。作者は朗読で広くその名を知られるようになったが、その朗読を支えるのは彼女自身の生きることに対する希求の強さや抱える闇の深さ、またテキストの深いレベルでの読解を可能にする表現への丁寧な執着などであることを、この一冊から伺い知ることができる。表紙のほかにグラビアとしても収録されている写真家・岡田敦氏による写真とも響きあった、美しい歌集である。

手のひらに記憶してゆくしんしんと眠れる人の頭蓋のかたち
生きかわり死にかわりしたこの時にもっともやわき耳翼をひらく
ユモレスク高らかに弾く 草上の遂げ得ぬ思いに紙ピアノ鳴れ
見上げたらあなたは遙かな楡でした 私は長いお別れを言う
ひとしきり父への怨み吐き終えて母は私の母に戻りぬ
届かないかたちをここで見ています 空仰ぎ落つ水のきらめき

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08/18/2008

『ふたり』関口ひろみ

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関口ひろみ第二歌集。
2008年8月1日青磁社刊。2,700円。

繊細な感性をもって日々を生きる女性の夫ないしは世界との関わり、その接点をはじまりとした闘病生活が描かれている。日常の描写からは作中主体の痛みが伺い知れ、かつて類似の経験を持つ身としては読んでいて胸が痛んだ。やさしい韻律にうたわれたなか、描写された以上のなにかを感じさせる歌に作者の魅力がひらかれているように思える。モチーフとしての繊細さよりも方法としての繊細さこそが主題に寄り添っているということだろう。

踏み込まぬをいたはりとしてきみはあり白きほうせんくわわれはふふむを
真昼間はわがつく息の音聞こえ部屋いつぱいにわれはふくらむ
カリフラワー頭のやうなるカリフラワー膝にかかへて涙を落す
もう梅雨のにほひがするときみは言ふ午睡の枕に頬当てたまま
卵割りて卵の秘密こはしたりゆふべ淋しき手のおこなひは
すこうしずつ冬の陽はのびゆうこさん、ゆかりさん、ゆりこさんおもほゆ

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07/22/2008

『ありふれた空』十谷あとり



十谷あとり第一歌集。
2003年6月20日北冬舎刊。2,000円。

隙のない文体や修辞が快い。古語の使用や古典をベースにした歌も散見され、丈高く美しい日本と文化に暗い湿りを孕む日本とが表裏一体となって横たわっているよう。軽妙なタッチも巧みで、とくに「あやかし」という連作の後半に置かれた「(銀河天目曜変 七首)」というSFストーリー的な一連は楽しんで読める。歌集全体の底を流れるものは重く、歪な世界も多く描かれるが、ところどころにすっきりと天に抜けるような歌が置かれていて、そういう歌に出逢うたびに根源的なさみしさが極まるように思われた。

花あかりまっさかさまに池の面へ落として白きまぐのりあかな
踏切も堰き止められぬ夕陽をばごごんごごんと轢いてゆくのだ
薄闇の満ちくる座敷扇風機が時折母のように振り向く
あの日僕に置き傘はなく鞄には小口波打つ文庫一冊
父はわれを捨て給いきと気付くとき右眼の中を翔ぶメガニウラ
野の鳥は野に戻るべく飛び離(さか)るその瞬間にわが手を蹴って

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07/01/2008

『Door』江戸雪



江戸雪第三歌集。
2005年11月15日砂子屋書房刊。3,150円。

死産、母の死と、喪失を題材にした歌が並ぶ。ときに「あかるさ」や「しずけさ」の果てへと自失しそうになるところを危うく踏みとどまった感じの歌も多く、死と対照的に浮き彫りにされるその渾身の生のちからが美しい。反対に生命のかがやく夏という季節に濃い影のように貼りつく死の姿も多く詠われていて、作中主体とともに生と死のライン際を行き来するような感覚にも陥った。体当たりの言葉たちに、詠うことによって現実を見つめ受容していった軌跡が見える。その文体は作為を超えて投げ出した肉体が定型の器に出逢って魂へと昇華されてゆく過程そのもののよう。青磁社の吉川宏志の時評で荒井直子『はるじょおん』との比較がなされているので、その点に注目して『はるじょおん』も読み返してみたい。

しずかなる医師のことばを聞いているわれはひかりを産んだのだろうか
われは生き子は死ぬ 朝のしずけさのなかに埃のふわふわ浮かぶ
春の闇つつめるように膨らみて往復葉書ポストのなかに
ほそながいスプーンに掬う豆ひとつあやまちは遠いサイレンのよう
黒蟻はわれの影より這い出してその後しずかなりわれの影
垂れさがる紐がおそろし しずけさを絡みとりつつまっすぐ垂れる

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06/15/2008

『てのひら』坂本樹

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坂本樹歌集。
私家版。

坂本樹くんの歌は以前からよく気にしていて注意深く見るようにしている。ニューウェーブ短歌—ことに正岡豊、穂村弘、荻原裕幸周辺の影響が濃いことが一読して読み取れるのだが、彼らの歌をさらに透明にしたような感じで、潔いまでに一切の背景が取り払われ、思惟や感覚の残滓だけが一行の詩として立っている。彼はピアニストでもあり耳がいいのか歌の調べも心地よく響き、ポエジーの質もオーソドックスで破綻がない。にも関わらず、歌集としてまとめて読んだときに何となく読み応えのない感触が残ってしまうのだ。原因としてまず考えられるのはビジュアルとして立ちあがってくるものがほぼ皆無であるということ。読み進めながらどこかで「絵本的歌集にすれば面白そうだ」と感じてしまうそれはどこかに世界をひろげたり深めたりするための情報を補完できる楔のようなものを求めているからだと思われる。次に単調な文体の連続。短歌として安心して読める構文の、モチーフが単語単位で入れ替わってゆく感じで、しかもそれらは究極的に象徴化されているため語彙が少ない。感情を破れめからやや露出させたような物言いに正岡豊的な感触が見えたり、「さみしさがさみしさに呼びとめられていつかは桃でありますように」の「桃」などに荻原裕幸的な語の置きかたを見たりするのだが、特に彼らほどのフェティッシュな要素もない。これでは書き手として早晩限界が来てしまうのではないかと(人の悪い言いかたをすれば)次の展開へと興味津々になってしまうのだ。上に書いたことは自分にとっても共通する大きな問題なので、なおさらなのだろう。ただし作者自身は当然その問題を自覚したうえで確信犯的に書いているのだろうから、楔を打つのかどうかはわからない。敢えてその道を突き進むのもひとつだと思ったりもする。

くりかえしまぶたをとじて海へ来たことなんか忘れてしまえますよう
まえがみをまきあげる風このままじゃ手紙を書いてしまいそうだよ
ひこうきの雲がときどき見えるからあなたは空とまちがえられて
どれくらいみがけばいいの夕ぐれの窓になりそこなったガラスは
海をみてきただけなのにてのひらに風がこんなにあふれてしまう
かんたんなかたちの椅子を並べてるあなたは海にあこがれたまま

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05/29/2008

『ひとさらい』笹井宏之

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笹井宏之第一歌集。
2008年1月25日BookPark刊。1,200円。

関連サイト
著者 http://sasai.blog27.fc2.com/

関連記事
http://hinatsu.air-nifty.com/sazameki/2008/05/post_fbb9.html
http://hinatsu.air-nifty.com/sazameki/2008/05/post_f3f8.html

意味性よりもイメージ性の際立つ作品群。言葉のちからを美しくあやつる魅力的な歌が並ぶ。この歌人にとってうたうという行為は、不条理な世界を不条理なままに掬いあげいとおしみながら丁寧にさしだす愛の作業=祈り、ということなのかもしれず、またそれによって自分自身も世界に接続しているのかもしれない。だから世界を掬いあげるにあたって辻褄あわせは必要なく、無理して辻褄あわせをしてしまっている歌よりも自意識を解放したままの歌の方が誠実で信頼できるように思える。イメージが回収不能であることへの不全感は拭えないが、一首を読み解くための手がかりになるような一語がさりげなく置かれていたりもするので、受け取る側も丁寧にありたい。

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ
内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす
水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
ゆっくりと国旗を脱いだあなたからほどよい夏の香りがします
兄弟の包まれている新聞に海のむかえが来る時間帯
ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす

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05/28/2008

『語りだすオブジェ』松村由利子



松村由利子第二エッセイ集。
2008年6月1日 本阿弥書店刊。1,700円。

関連サイト
著者 http://soratanka.seesaa.net/

ウェブマガジン「風」で連載していたエッセイ『語りだすオブジェ−いつも、そこに短歌』が書籍化したもの。生活の中の身近なアイテムを切口に現代短歌をピックアップし鑑賞した企画で、松村さんの理知的な読みがそれぞれの歌の世界を心地よく展開してくれる。短歌鑑賞の手引きとしてはもちろん、実作においてもモチーフの使いかたなど参考になるところが大きい一冊となっている。

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04/16/2008

『ねばならず』足立尚彦

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足立尚彦第三歌集。
2008年4月26日喜怒哀楽書房刊。1,000円。

関連サイト
著者 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/9392/

題詠マラソンを初出としたものも多く、印象深い歌が並んでいた。一度はWEB上で公開された歌集であり初見ではないがやはり一冊のかたちになった方が読んで胸に落ちるものがあった。かねがね言葉の巧みな人だと思っていたが、ちりばめられた言葉遊びやアフォリズム風に描き出される世界観は読むほどにさみしく、単なる技巧としてではなく虚無や孤独との闘いの様相をもって迫ってくる。適度な湿り気を帯びた文体に生じるいい意味での甘さが詩情をくゆらせているように思われた。下に引いた二首目の石鹸の歌などに、突如叫びながらすべてを放り出してしまいたくなる寸前のぎりぎり感のような凄みを感じる。

くるこないくるこな雪の舞う夜は待たず待たれず酔う寒いから
石鹸が使われ小さくなるときはいつもあかりに照らされている
小京都の小のほどよき健気さを保ち続けているのもだるい
台風の進路が徐徐に西にずれ東に安堵する人だらけ
窓よりもぜったい広いはずなのに秋空の青 くくられたあお
傷のない卵をふいに割るようにおまえを抱けばこんなに今日だ

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02/01/2005

『秘密基地』舟橋剛二



舟橋剛二第一歌集。
2005年02月北溟社刊。1,600円。

オーソドックスな文体とシンプルな切り取り方で良質の抒情を織りなしており、作者の思いが伝わりやすく安心して読めた。作中主体像は連作ごとに多彩だが、その価値観はいずれも最大公約数的で屈折がなく、そのことがいい意味での普遍性を獲得している。一方でわかりやすさを選べば削ぎ落とされてゆくものもあって、そこに物足りなさが生じる嫌いも。一首の内部で辻褄があっていることにより読者が楽に想像できる域を超えてはゆかないだろうと思われる歌も多く、世界観においても表現においてもやや類型的な傾向が目についた。こういう文体で普遍的なモチーフを扱う場合、修辞の強度はいっそう求められるだろう。集中にたまに配置されているかんたん短歌風の歌は効果的に思えた。また自由詩と短歌を組み合わせた「浅い夢」という一連、試みは面白いのだが補完が過剰な印象を受ける。自由詩の響きが短歌より強く感じられるのはマイナス要素であろう。いいと思える歌も多いので、詩型の落差が感じられるとよかったように思う。

こんなにも静かな海を流されて難破船とは気づかれぬまま
ひとがみな眠る列車のゆくさきに大きな海があった気がする
父の胃ががんに埋め尽くされしのちわが心にも死が転移せり
かなしみの中心に手の触れしとき炎は風にあおられて爆(は)ず
降る雪につつまれながら夜も更けてきみのやさしい一画の「ゆ」
群れて飛ぶ蝶が胸からまたあふれ何度も僕を殺すのは誰

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